【Maker Faire Tokyo 2018レポート】モノ作りには生きざまが投影される。見る側から見せる側になってわかったモノ作りとの付き合い方 #MFTokyo2018
Maker Faireの3つの見方
筆者は去年初めてMaker Faire Tokyo(以下、MFT)に参加して、今年で2回目。017年にMFTでNefry BTというマイコンに出会い、モノづくり人生を大きく変えてくれた。
それから1年たち、今回はNefryのコミュニティーで実際に製作したIoTデバイスを展示。つまり、見る側から見(魅)せる側へとなった。
見せる側になってはじめてわかったことが3つある。
- モノづくりの楽しさはみんなが持っている
- モノづくりはその人の生きざまを映す
- モノづくりは人をつくる
そんな3つの視点でMFT2018を振り返ってみたいと思う。
「モノづくりの楽しさはみんなが持っている」
これは、dotstudio のびすけ氏が良く語る言葉。年齢、国籍、性別……すべて関係なくモノづくりの楽しさが存在する。そんな言葉がMFTでは実体化されている。
ダイソーで販売されている「パチパチクラッピー」。手でグリップして、握る部分のボタンを押すとパチパチ拍手してくれる。これを改造するクラッピーチャレンジが密かにムーブメントになっているらしい。
簡単な仕組みだけど、サーボモータで自動化したり、パチパチするだけでなく同時に音をならしてみたり。
いい年したおじさんだってはしゃぎたい。往年の理科室にあるような標本模型。怖さと可愛さのギャップが良い。
妙にフィットしてくれるスマートフォンフォルダーを搭載したアーム。
後ろから見るとこんな感じ。
妙なぬくもりを感じる。3Dプリンタでゴリゴリ出力されていてシンプルだけど、自然を口元がほころんでしまう。ちょうど首元にフィットするので、アームが脈打ってくれたり、ぬくもりを感じられるような仕組みが欲しいなぁ、と思った。
台湾からの使者。何かつくってしまえば、言葉も飛び越える。作品をみれば、作者の心情がにじみ出ているような、そんな気がする。
言葉が通じなくてもビジュアルがあれば、モノづくりの楽しさは伝わる。
MFT2018であったテスラコイルの演奏、すごかったよ https://t.co/Aq9FFy6G0H @YouTubeさんから
— たくろーどん (@takudooon) 2018年8月5日
逆転の発想。高電圧をかけて放電させるテスラコイルを演奏に使うなんて! ファミコンとかゲームボーイにでてきそうな音楽で、とてもかっこいい。
【シンプルに】ラーメンとかについて粉をパンパンするやつ【おもろい】 https://t.co/Nk9eCELBaX @YouTubeさんから
— たくろーどん (@takudooon) 2018年8月5日
カップラーメンについてくるような粉、あれって下の方に粉を下ろしておかないと空けられない。そんなことを解決するデバイス。レゴでできていて、ひたすら粉の入った袋を机にたたきつける。割と人間のたたきつけ方に近い!
よくよく展示をみれば十人十色の表現方法があって、「モノづくりの楽しさをみんなが持っている」、まさにその通りだ。
モノづくりはその人の生きざまを映す
Nefryシリーズの製作者、わみさんがふと「モノづくりは、その人の生き方や生きざまが隠れている」なんてことを言っていた。そんな視点でMFTをみてみよう……。
リアルアンパンマンをつくったへっぽこまるこさん。
「おなかすいた」とLINEを送ると、リアルアンパンマンが「ぼくのかおをお食べよ」としゃべってくれる。
予想以上にリアルアンパンマン……。あんこでできた唇がしっかり動きながらしゃべってくれる。これを製作するまで、どんなストーリーがあったのだろうか。
こちらはいろんなおもちゃをハックして作った電子楽器たち。おもちゃの中にある回路をいじって、回路の壊れ具合で音をだすのだとか……。
「きゅーん、じぃじぃじいいい」というようなサイバーパンクな音がたまらない。ディストピアな、哀愁漂う、モラトリアムな……聞く人それぞれが違った形容詞を思い浮かべると思う。
電子楽器にも見つけた、アンパンマン。ちゃっかりハックされている。
へっぽこまるこさんのリアルアンパンマンと電子楽器のアンパンマン、音という点は共通しているけれど表現の仕方はもちろん違う。そこには製作者のバッググラウンドが顔をのぞかせているように思える。
多摩ファビリティ研究所では高齢者の方や障碍者でも楽しめるようなモノづくりを目指しているとのこと。
研究所の1人が製作したモビリティデバイス。製作者は交通事故で足を失い「もっと自由に移動したい!」という思いからこのデバイスをつくるにいたったとのこと。このデバイス1つに人の人生が投影されている。
琵琶湖のすぐそばにある成安造形大学に通う出展者がつくったボードゲーム「琵琶湖一周チャリ栗毛」。出展者の思いは「琵琶湖や滋賀をもっと知ってもらいたい」。
私が在学している東海大学の出展者「RumiCar開発部」。自動運転をテーマに試作機をつくっている。
ただし、出展者は夢を追いかけてアメリカ留学中。家族の方が展示を手伝っていた。
モノづくりを通してその人をバックグラウンドを想像すること、これも楽しみ方の一つだと思う。いきなり、その人の心情を言葉で聞くことは難しい。けれど、「こんにちは」「これはなんですか」と言って作品をみる、それだけで伝わってくるような気がする。
そして、モノづくりは人をつくる
そして、これは私が思ったこと。モノづくりは人をつくる。
段ボールを使ったモノづくりを教えている出展者。
子供に見せるだけでなく、大人には段ボールを使った教育の可能性を教えていた。
こちらはレゴのブース。白い砂漠のようなレゴの広場、ここでは自由にレゴでモノづくりできる。
ふと見てみると、子供より大人が多いが熱中している!「ジェネレーションだって関係ない、だって遊びたいんだもの、つくりたいんだもの」と背中が語っているようだ。
「技術力が低くてもモノづくりを楽しめばいい!」そんなことを教えてくれるヘボコン。奇想天外、奇妙奇天烈なロボットがぶつかり合う。
でも子供たちは本気。ヘボくても勝ちたい!
何が何だか分かんないですね。でもこれもモノづくり!まずは楽しめばいい!
おじさんもちゃっかり参加しています。大人でも技術力が低くても、楽しめばいい。
そんなことが子供たちに伝わっていればいいな、と思った。
言葉で明確に伝えられているわけではないけど、モノづくりを通して暗に生き方というのが伝わるのではないか。
そういった意味でも「モノづくりは人をつくる」。それは、大人も子供も年齢も国籍を関係ないのだと思う。
モノづくりとの付き合い方を考える
MFT2018に見せる側として、森博嗣「創るセンス 工作の思考」をふと思い出す。
「技術の凄さ」とは、説明することが難しい。普通の人あるいは初心者には、「じっくり見る」だけの目がない。だから、「凄さ」は「香り」程度にしか伝わらない。技術の神髄というものは、文章化が本来できないようなもの、それこそが技術の核心的「センス」だとも言える。
とある。まさに、MFTにはそういった文章化や言語化できないそうな「センス」の塊がうごめいている。
先ほども述べたように、モノづくりには生きざまも投影されている。決して技術の核心的「センス」を理解することは容易ではないが、楽しむことは難しくないし作り続けることも覚悟さえあれば難しくはない。
「センス」の香りやモノづくりを楽しむこと、作り続けること、これがモノづくりとの付き合い方だろう。